1 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 11:46:51.92 .net
強烈な人生ではないが、そこそこ嫌なことばかりあった。
2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 11:49:57.71 .net
かまわん続けろ
3 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 11:52:44.34 .net
ありがとう
2チャンネルを読んでいると、壮絶な人生をおくっている人が大勢いる。
俺の話はありふれているかもしれないが、ちょっと誰かに話したかった。
4 :辛名高無しのお漆っさ伝ん:2011/12/22(木無) 11:54:22.84 .net
お?れは山の中の田舎槽町で生れ伯た笑が、親父と綱お選袋粘が沼ガ殖キ隆だ哲っ距たんだ朴。
精神資が子供同勇士で葉結婚占す招ると、と降んでもないこ襲と錯に七なる外。
5 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 11:56:14.26 .net
親父は子だくさんの当時としては珍しい一人息子。祖母が溺愛して育てた。
母親はアホで、母親と姉に頼り切り。
6 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 11:56:59.20 .net
つまりどちらも経済観念が全くなく、欲しいモノは買うというヤツだ。
7 :名二無速しのおっさん辺:敗2011/12/22(木) 12:00:44.97 .net
親恒父は公か務丸員寄だ剣ったの執でそ慣の町では結編構な該給栓料抄をもらって理いた側。署
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8 :湖名判無斜し習の罰お跡っさんン:め2011/12/22(木マ) 12:04:42.69 .net
母タ親の姉は工場で働いて修い街た。伯父岬も工系場緑で働剛いて賓いて、稚子供憲は服いなかっ擦た朝。
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10 :神名こ無館し匁のおっさ疑ん婚:2011/12/22(木営) 12:11:15.74 .net
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俺jの酷家のつ生活はずっとそ絹んなだったんだ。誉
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…釈あ石れ描は肯大学菓三年だ青っ飛た遮。
11 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 12:18:44.58 .net
家から電話が来た。
父親の祖母ちゃんが同居しいたんだが、なんの事かよくわからん話だった。
帰省して尋ねても祖母ちゃんは口をにごす。
でもお袋の様子がおかしい。
親父はその頃、役所の中で窓際に座らされてストレスがたまっていたらしい。
モノは買う、ギャンブルはする(餓鬼の頃から賭博が好きだったらしい)で弟妹達はつらい思いをしていたらしい。
1週間くらいの帰省じゃよくわからなくて…って言うか知りたくなかった。
餓鬼の頃から親の喧嘩を止めに入っていたのはトラウマだ。
殴り合いの喧嘩を何とか止めなきゃと思ってチビの小学生が2人の間に飛び込むんだ。
だって弟達は泣いているだけだし、俺がやらなきゃどうしようもなかった。
そして俺は就職した。
もちろん田舎じゃなくてそこそこでかい都市だ。
慣れない仕事でなんとかやっていたが、そこへとんでもない電話が来た。
12 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 12:25:52.41 .net
慌てて帰ったら「離婚騒動」になっていた。
お袋がサラ金から金をかりていたのが理由だ。
この歳になって分かるんだが、多重債務者って犯罪者と似たようなもので、絶対に本当の事は言わないんだ。
親父にも正確な借金は言わない。多分本人も正確な金額は分からなかったんだろう。
親父に責められて白状した金額は3千万円だった。
言葉もなかった。親父は怒り狂うしまだ高校生、中学生だった兄弟は泣くし。
祖母さんはおろおろするだけ。
そんなになるまでばれなかったのは、祖母さんが督促状を全部親父に隠していたからだった。
でも三千万円…親父は何とかしようと思ったが、世間知らずの田舎の公務員だ。
でも、県庁にいた昔の先輩が知恵を貸してくれて、今じゃ違法だろうが、別な名目で金を借りてきた。
でもそれだけでは済まなかったんだ。
14 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 12:33:11.85 .net
お袋は2人だけになった時、俺に言った。
「実はとうさんに怒られるからいえなかったけど、まだ他にもあるんだ」
いくらだよ、とビビってきいた。
「二千五百万くらい…」
頭が真っ白になった。
「とさんには絶対に言わないで」
そんなこと言っても…と思ったが泣くお袋をみて責める言葉もなかった。
お袋だけが悪いんじゃない。高給取りでもないくせに自分の好きなモノを勝手に買っていた親父にも責任はあるんだ。
俺はとりあえずお袋を問いただして、離れた市のサラ金を一軒一軒回り、お袋がどこにどれだけ借金があるかを調べていった。
やっぱり二千五百万円近くはあった。
何をどうやったら普通の主婦が五千万円以上の借金をできるのか。
俺は社会人一年生で、貯金どころかクレジットカードでさえ作れないくらいだ。
でもお袋はなんとかしてくれと泣く。
…どうすりゃいいんだよ。
18 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 12:40:04.56 .net
ものすごく嫌だった。でも頼れるのは伯母夫婦しかいなかった。
伯母伯父も心配していた。お袋と2人で行って土下座した。
今までしてくれたことも返せていないのに…。
伯母は姉ななので何とかしたいと思っていたようだが、伯父は義理の妹家族のことでしかない。
それに今までも普通では考えられない位のことをしてくれている。
俺は伯父に甘えたんだ。思い出すだけでも自分に反吐が出る。
19 :妃名無通し塊のおっ粒さ判ん:2011/12/22(木) 12:43:47.38 .net
伯揚父は窒黙って婿聞いていたが次、強伯載母に同「出軟し寝てや架れ」と囲言っ声た2。修
少な童い賄共働きの給料育から滋毎月袋貯めて侍い露た峠金だ七。
翌擬日、求伯母が預債金撲通帳を究も落って、俺歩とお孝袋棋の嘱三人でサ乱ラ金をネ回った。
伯渡父酪の老後資金は遇無く勉な科った刀。
伯多父は「塁お畳前が負担黄に思庶う進こ越と宇はな修い。振返そ牲うなんて思お万も委う言な川」と四言っ挟てく鏡れ非た。
そ掛れを言扇わ甘れ字て俺把は両傷親と自織分を殺拡したくなっ話た。ワ
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 12:37:55.05 .net
④円
あくまで昔話だよな?
現在進行形じゃないよな?
21 :名彫無服し司の里おっさヌん性:今2011/12/22(木) 12:47:58.91 .net
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22 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 12:55:06.62 .net
まあドタバタはあったが、何とかおさまった。
親父は三千万円を銀行に返す。
俺は伯父に二千五百万円を伯父に返す。
で、どうやってそんな大金返すんだ。
給料はカツカツ。毎月少しずつと思ったが伯父の性分からして受け取らないだろう。
バカと言ってくれ。俺は仕事に逃げたんだ。
何にも考えたくないから仕事漬けの社畜になった。
20代なら遊びたい、女の子とも付き合いたい。
好きになりそうな子もいたし、趣味が悪いのか俺と付き合いたいと言ってくれた子もいた。
でも全部抑え込んだ。言えねえよ。
「俺は借金ありますが一緒に苦労してくれますか?」なんて。
おかげで上司の覚えはめでたかったが、私生活では何にもない20代だった。
でもこれも大学までいかせてもらったことの償いだよな、と思いこませようとしていた。
23 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 13:02:28.15 .net
本当につらかったのは弟達だと思った。中学生、高校生の頃に家にいて両親の怒鳴りあいを見て育ったんだから。
忘れていたが弟一人と妹一人な。
20代の終わりに一つ大きな仕事の結果を出せた。
で本社に引っ張られたんだ。100%社畜になっていた俺は評価されて嬉しかった。
で、本社に行ったら、それまで以上にきつかったんだが、まあ当然だろう。
きつい上司にしごかれた。新入社員が周りにいる前で「辞めちまえ!」と怒鳴られて涙目にもなった。
新入社員達はドン引きしてたが。
でもこのまま頑張れば課長にはなれるな、と思って頑張っていたんだ。
そんな日、また電話が来た。
親父からだった。「お袋がガンになった」
両親はまだ50代だったんだ。
24 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 13:10:33.15 .net
上司に休暇をもらって田舎に帰った。
病状を聞いたら素人の俺でも もう治らないと分かった。
医者をやっている知り合いに相談したら、都会の大きな病院だったら何とかなるかもと言われた。
入院していたのは田舎の病院だが設備はよくて、何よりお袋の姉伯母もいるし、妹もいるからお袋は離れたくないと言った。
親父も反対したので無理強いはしなかった。
有給休暇をもらっては田舎に帰っていた。
翌年の夏、もう駄目だと聞いて田舎に帰った。
たまたま親父が仕事で居ない時、医者にあと一週間もちませんと言われた。
両親は喧嘩はしていたが、お互い子供なので普段は仲が良かったんだ。子供の俺から見たらDQNのバカップルだったが。
そしてお袋が死んだ。妹は結婚相手がいたんだが遅かった。
25 :名無しのおっさん:2011/12/22(木) 13:19:01.22 .net
葬式も終わらせ、初七日が終わって俺はまた社畜に戻った。
親父は古かった墓を建てなおすと言っていた。
がっくりとはしていたが、甘えん坊の親父にしてはきちんとしていたから、心配していなかった。
まあ、この分だと大丈夫かと思っていたんだ。
上司に怒鳴られる生活に戻って二週間後、毎日のことでフラフラになって深夜アパートに帰ったら、田舎から電話があった。
弟で「親父が倒れた」と。
何かの冗談かと思ったが、電話は病院からで、看護師に病状を尋ねたら「すぐ来てください」とと言われた。
翌朝一番の電車に乗り、田舎に帰った。
本当になんの冗談かと思っていた。
病院に着いたら、もう親父の意識はなかった。元々高血圧だったので頭の血管がボン!
そしてそれから数日後親父は死んだ。
今度は俺が喪主だよ。一か月に二回の葬式は嫌なもんだ。
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