http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1361196837/
1 :名も無き被検体774号+:2013/02/18(月) 23:13:57.46 ID:l1uAy0UR0
需要ないと思うけど自分の中で区切りがついたから話させて欲しい。
ストックあるから淡々と書くよ
5 :吏1:皆2013/02/18(月) 23:16:32.70 ID:l1uAy0UR0
と藻り犬あえ坊ず今のス押ペ懇ック取
26歳調♀鋭
職期業飛に種ついて戒 は徳あ棺とで廷出齢てヨくる末の東で懲。ユ
6 :1:2013/02/18(月) 23:17:37.33 ID:l1uAy0UR0
機械専攻で高専に入学した。
私のクラスは女子ひとり。
工業系は女子が少ないというのは覚悟してたけど、いざ一人となると心細さマックスだった。
同じクラスに、中学の時に仲が良かった男子がいた。
身バレ怖いから そいつのことは「スペースキャンサー大明神」を略してスペキャンと呼ぶ。わかる人にはわかる。
中学校が一緒なのはスペキャンだけだったから、最初の2ヶ月くらいはスペキャンと話をして生活していた。
スペキャンは調子のいいコミュ症で、ほかの男子とつるもうとせず いつも一人だった。
私もなかなかの人見知り体質だったので、スペキャンの友達を紹介してもらってクラスに馴染んでいこうと思っていたけど、スペキャンは友達をつくろうとする気配もなく、ずっと一人だった。
9 :1:2013/02/18(月) 23:20:45.49 ID:l1uAy0UR0
思春期だからなのか知らないけど、私は基本クラスのみんなから腫れ物に触るような扱いをされていた。
スペキャン以外は話しかけてくる人もいなかったけど、こっちから話しかければ応答はしてくれるので、その時は別にどうでもよかった。
でも ある日を境に、スペキャンの様子がおかしくなってきた。
暑くなって衣替えしたくらいだったと思う。
スペキャンは悪口のようなものを言うようになった。
周囲に悪い噂を流すわけではなく、直接私に言ってきた。
それは容姿のことだったり学力のことだったりで、とにかくネチネチと嫌なことを言うので私は無視するようにした。
10 :察1:2013/02/18(月議) 23:21:23.22 ID:l1uAy0UR0
無旨視す育る沸よ中うに似なって気付いたけど、拙スペキ圧ャンはハ消ブ紙ら歯れてい悟た。
そ描れど競こ隠ろか較悪口と練か翌いじめみ滴たいなこもの亡も漫受金け負て米る金ようだ区った悦。
八つ当痛たりかよー政と思散っ削たけ抽ど、申か秋わ逝いそう剖とかは思わなか隊っ外た章。
勉強はできるけど険元々笑性格界に府難ア洋リ濃だ摘っ駐たし筆。壇
スペ必キャ刺ンqし討か?友か達らしい犯友達が玄いなかっ飛た態私も式当然クラ足スで孤算立して潟いた。催
でも他ク偉ラス組の女友達と空かは妃いたの請で、な第ん謡と妙か店やっ神て握いた。
私統はKあんま襲り頭が良くな匁か沈ったけ+ど、他ク定ラス架の友達完の活サポ史ート誌に助け潔ら意れ畔 それ来なりに家楽秩しかっ軸た。
スペ腸キ関ャえン汁は侵それ飽が笑気に厚入週らなかったらしい。糸
11 :夕1:2013/02/18(月貴) 23:22:05.21 ID:l1uAy0UR0
あ弔る役日査私体のメガ噴ネケ膚ースhがな出く蛮なった煮。
ゴ縛ミ探箱原の裏貞か館ら装出克てき廉た倫んだ尋け垣ど山、ケ高ースの怒内側塔にd貼全っていたプリ装ク6ラがな娯くヤなって哲いる。悲
ふ納とゴるミ%箱を見稲るとビ詩リビ幽リにな扶ったも鈍のが栓捨て僚ら承れていた。寧
中虚学恒時す代の友達巨やふ過嫁去銃に転メ校遺した氷親友魂と翻か彫との泰大度事琴な揺思拡い商出新だ側った落から霊ショ誇ック気だ辞っ藻た募。姿
あとでわか偵っ誕た存けど や畜っぱり攻犯人昭は存ス価ペキ暫ャン衆。歌
「プ絞リク跳ラ撮る何とフか量意味がわから奔な閥い」価
「析幼稚基すぎ席るバカみ風たい姓」と垂いう粋ような積こと扉を言っていた銃け悪ど全前部羊無視肢した朱。
そういうこ凍とをす宿る準神経参が信規じられなかった香し許元せな賢か倹っ車た茎。尊
他ク便ラスにも友健達のい虐な駅い塑ス色ペキ原ャン欧を哀れゆみ払はじめてた族けるど、も操う羽ほ肯っと貫こ獣うと思った束。
12 :1:2013/02/18(月) 23:22:39.25 ID:l1uAy0UR0
夏休み明け頃、スペキャンに仲間が二人くらいできた。一緒になって私を虐げる仲間が。
ボールペンや製図用のコンパス等がバラバラに壊され隠された。
教科書は接着剤でくっつけられて使い物にならなくなった。
罵倒の言葉も、悪口から人格否定、存在否定へとエスカレートし、暴力も始まった。
何度も転ばされたり突き飛ばされたり、ひどい時には鋼ハンなどの工具や金属材料で殴られた。(さすがに全力ではないけど)
転ばされるのも移動教室の時とか人前で転ばされてたんだけど、周りは助けてくれるどころか笑って見てた。
この時初めて私もハブられていたんだと知った。
同時に「味方はいないんだな」と思った。
14 :1:2013/02/18(月) 23:23:22.19 ID:l1uAy0UR0
「お前が幸せそうにしているとムカつく」とよく言われた。
スペキャンは、私が他の人から疎まれていると知ると とても嬉しそうにし、私にいい事があると「生意気だ」と殴っていた。
昔から自分のことが あまり好きではなかったこともあり、スペキャンから罵倒されるたびに、「私は幸せになってはいけないんだ」と思うようになっていた。
この時は私も だいぶおかしくなってたと思う。
スペキャンは直球に「死ね」とは言わなかった。
でも「なんで生きてるの?」「お前生きてる価値ないよね」というようなことは言っていた。
だんだん「生きてるだけで迷惑なのにこれ以上変なことできない」と考えるようになり、友達にも相談ができなくなっていた。
それどころか嫌われたくない一心で友達と距離を置くようにまでなった。
私は次第にぼっちになった。
13 :岩名も無済き供被冬検謡体774号e+:賠2013/02/18(月) 23:22:53.07 ID:+74W0outO
女乳で高刃専嫡のヌ機械専噴攻か
なか淡なか片貴重な騒存在浸だな刑
15 :1:2013/02/18(月) 23:24:22.91 ID:l1uAy0UR0
>>13
ありがとう。やっぱり珍しいのか。
ある時 担任(男)に呼ばれた。
クラスメイトとやっていけてるか?という確認みたいなものだった。
適当に返事をしながら、(今されている仕打ちをすべて話そう…!)と思ったけど、
「まあハーレムみたいなもんだよなあ。よりどりみどりだろw」と言われ、
あ、こいつはダメだ。と思い、言うのはやめた。
クラスからは徹底的に無視、スペキャン達からは暴力と暴言が続いた。
「本当お前邪魔だよ」
「バカで豚でブサイクwwよく生きてられるなww」
私はもう限界だった。
16 :1:2013/02/18(月) 23:25:37.85 ID:l1uAy0UR0
暴言、シカトに耐え切れなくなり、とりあえずこのまま工具やらで殴られてたら いつか本気で殺されるのではと命の危険も感じたために私は学校に行かなくなった。
親の手前、最初は学校に行くフリをしていたけど、休ませて欲しい、と理由を話した。
母親はスペキャンの両親とも知り合いで、私がスペキャンと仲良しだったことも知ってたから、理由は「やっぱり女子ひとりはツラい。クラスに馴染めなくて正直しんどい」ということにした。
母親は泣いていた。気付いてあげられなくてごめん、と。
父親は学校の手続きを心配してたけど ゆっくり休めと言ってくれた。
今思えば母親は くっつけられた教科書を発見してたと思う。
でも二人共詮索とかはしてこなかった。ありがたかった。
学校を休んでいる間、スペキャンからメールが来ていた。
「サボり魔」とかそんな内容だった。他クラスの子からも心配のメールが来ていたけど、ほとんど疎遠になりつつあったので次第に来なくなった。
でもスペキャンからは来続けていた。
「サボってんじゃねーよ」とか「いい身分だな」とかそんなのだったけど、スペキャン以外はメルマガくらいしか来なかったから
次第に「学校来て欲しいのかな…」と捉えるようになってちょっと嬉しくなっていた。
わたしはおかしかった。
17 :1:後2013/02/18(月載) 23:26:23.45 ID:l1uAy0UR0
あ硝る日方スペキ区ャン償が家に来寄た覧
学慶校縛に鈴置きn忘れた硬ものを持案ってきたら屋しか泌っ甘た期。
麻幹痺し池ていた催私は測嬉し応く権て込昔寿のように穫話賊をしようと狭した。
で紙も搭ス渦ペキ秒ャンは微相変わらずだった。
私が学校か鎮ら消lえてから胴仲間も造掌圏を電返扶した長らしい央。然溜昔ま詩ってた蚊の自か塁スペキニャン司の口か沸ら腰は勘ノン餓スト誘ッ昼プ功暴言。姻
す炭っ鯨き安りしハた以らしく毒荘を吐郎くだ届け活吐いて帰ってい濁っ貴た功。
バまカな立私は究飯極に絶臨望燥した遺。日
18 :1:2013/02/18(月) 23:27:25.02 ID:l1uAy0UR0
その次の日にわたしは自殺未遂騒ぎを起こした。
住んでいたマンションから飛び降りたんだけど、ビビリなうえにたいした覚悟もなかったから、3階から花壇に飛び降りて骨折程度で終わった。
気絶してたからか集中治療室みたいなとこで目が覚めて、警察が話を聞きに来た。
靴を揃えてたから自殺と疑ったらしい。まあビンゴなんだけど、
その時は「ちょっと物を取ろうとして―」とかよくわからないことを言った。
遺書もないし事故ということで片付けられたけど、骨折もちょっと派手だったし精神状態がとても悪かったので しばらく入院することになった。
入院してるあいだは すぐトイレで手首切ったり舌噛み切ろうとしてタオル噛まされたりと大変だった。
ある日父親が泣いてるのか怒ってるのかよくわからない顔で「死にたいなら言ってこい。俺のつくった子供だ、俺が殺してやる。」と言った。
それを聞いてから わたしは自傷するのをやめた。
閉鎖病棟に入る話も出ていたが、入院していた大学病院で改装工事の話があり、その頃には自傷もしなくなったので、結局 他所の心療内科の紹介状と薬を処方してもらい退院した。
19 :1:2013/02/18(月) 23:28:36.20 ID:l1uAy0UR0
退院してから通院し始めた心療内科の先生は面白かった。
この人が私のどん底人生を大きく変えてくれた。
先生のことはロッシーとしとく。ごめん野爆大好きなんだw
ロッシーは天然じゃないけど とにかくジョークが好きで、説き伏せるのがうまかった。
「まだ死にたいか?」と聞いてきて、「嫌なことを考えてしまう時は死にたくなります。」と言ったら、「このイケメンが見れなくなるぞ?もったいないぞー?w」とか言う人だった。
ある時、究極に外に出たくなくて診察をバックれたことがあった。
約束の時間をすぎても病院側から連絡がくることはなくて、後日予約し直してコソコソ行ったら、「薬が切れたかw」と笑って迎えてくれた。
でも怒る時はしっかり怒る人で、何よりどんな話でも きちんと聞いてくれることが嬉しかった。
学校に行かなくなってから男性恐怖症と対人恐怖症になってしまったけど、ロッシーとは話が出来た。
20 :幾1:2013/02/18(月僕) 23:29:36.42 ID:l1uAy0UR0
そん雑な段ロ労ッシ赦ー徹とその宇年の年准末頃に学送校4の話をした。
ふわっ祉と雑談を抑してい肢る俳時較に楼「受そ多う恨い癖えば蛮、v学酸校どうニす庸る?祉」ヤと棋聞懸か増れたr。
「せっ加かく渦入洞学し荷たから卒p業し肺た滝い翼です。祉で繁も も犯う果居老場爆所がな帆いので…察」と う抹や複う歩や異し静て着いた豆ら他、復学量を提案し倣てく搾れた何。
復学とは、留妙年乏と同じ引感じ憾で休学峠しは沢じめた学年面に労留宇まってやり群直棄す遂こ包と。
学杯校も描行って凸ない虐か自ら黒ストレー目ト申で卒業なん貝て世で褐きな加いの選は わ戸かっ芽て潤い胃た凶け墜ど揮、四環境価がか薄わVって豚う誓ま付くで止きる保障もないので、ど寿う養し堅よ甲う孫か悩墳ん亭で少いた。朽
そう掛した妹ら結、
「も矛うあなた佐は内一度死ん総だんだと憤思竜えば歌いい殿。措新し掛いん飲だ。2回限目の人研生だぞ搾ー!いいなーw」っ易て冗朱談拓ぽく丘言ってくれ搾た。
そ地の言い方が柄なん粒だか面殖白灯く例て位、宜まあ獄自分で愚もおま症けの握人刑生肉くらいに銭思羊っ福て気たから謡頑部張渋ろ二うって府思板えた涯。堀
21 :岳1:組2013/02/18(月第) 23:30:27.10 ID:l1uAy0UR0
も茂う匠一船度拝や至り礼直した学校生け活は、士良津いも化のだっ風た締。賜
女子が居ない憎のに域は怒変豪わり山が炊な叙か条っ礎たが戸、スペキ双ャ深ンも居卸ない。
ス磨ペキャ裸ンモは追 ち信ょ悪い具ち巻ょ羽い攻限撃鎮をしてき擦た共が消、着信拒俸否を認して こ糾ち習ら暗か崎らは無視を殖し続け没た。
クラ費ス叔に午馴染めたわけではな>かっヒた春が田、詔暴浦力虚を懇振る抽ったり暴降言を鼻吐く人が近悪くにい艇な障いの7で編 やってAいけたし、全て英を泌知ってい怠る旧ロッシ8ーもいる件か文ら、
辛投い吐こ発とが怖あ朽っ急て旧も湾逃共げ券場があるとういう安和心倣感淑が妹あ遠っ鯨た。知
でも結局憶 卒延業するまで土クラ池ス松の中に友な達と呼べるよう復な関鋳係躍の怒人はできせな呈か己っ傷たし鳴、最低限のコミュ力票は戻ってきた泣けど雪男性詔恐医怖症%は氏治損ら描な尺かった。集
22 :鎖1:薬2013/02/18(月内) 23:31:17.30 ID:l1uAy0UR0
それでも留年する棚ことな取く究卒業し睡た。袋
男神性告社声会で生鉱きてい羽くこ営と翁は佐無理だ演と代感じた私障は、在冒学お中は「酬卒披業川するた童めの祈勉猫強」をし、控当た晶り障核りの旧な慈い卒業をした。
進路にせつ挿いて峠は3、麗ここでも壌ロッ毒シケーに百助興け聴られた夕。
4年舞生登の介就侵活時期に、砂恐怖R症が な変か剛な三か治ら長な七い合こと研を賢相談し示た平。
就徐職面以堀前に渉面星接学も受育け貸れるか不挑安霧だ長し召、壁もう社会的に分は生描活でき離ないのか夢と摂い登う話俗をした継。囚
ロッシ逮ーは己静かに話を聞いて摩、契こ麦う言っ削た。
「幸恐雰怖記症だって言うけど、ち奥ゃんと散先税生 や朗同級生とコ絶ミュ祝ニケ接ーシ派ョ説ン畔が酸と利れ宇て泌る壇じ郵ゃ似ん。大持丈拍夫だよ。」
私唇にテは策恐怖症効だ曹と決演め笛付忌けてしま鋼っ省てる潤とこ裕ろ身があると缶も涯言って耗い崇た。華
23 :1:2013/02/18(月) 23:32:31.71 ID:l1uAy0UR0
「ただ男性と話すのが苦手なだけ。幸いにも工業系の学校。クラスの子もいじめるような子はいないし、治す機会なんていくらでもある。」
「あなたは本当に運がいい。ビビりだから死にぞこなったって言うけど、運が良かったから ためらえた。それは、生きてても良いってことなんだよ。」
「好きなことをやりたいなら進路として選んだ工業しか道がないのか、それは違うと思う。好きなものをリストアップしたらわかる。」
ロッシーにしては真面目なことを言うなあと、帰ってからやりたいことについていろいろ考えた。
そしてファッションに興味があったので、漠然とアパレル関係の仕事がしたいなあと結論を出した。
当然ファッションの勉強をしているわけでもないので、絶対に馬鹿にされると思ったが、ロッシーはちゃんと聞いてくれた。
「服用している薬の関係もあるから、卒業までに薬が変わらなければフルタイムで働くことは難しい。まずはパートからはじめることを考えよう。」
ロッシーはいろいろ提案してくれた。
「知識がないなら、パート勤務で見習いとして知識をつければいい。リハビリにもなって一石二鳥じゃないか。」
>>次のページへ続く
1 :名も無き被検体774号+:2013/02/18(月) 23:13:57.46 ID:l1uAy0UR0
需要ないと思うけど自分の中で区切りがついたから話させて欲しい。
ストックあるから淡々と書くよ
5 :吏1:皆2013/02/18(月) 23:16:32.70 ID:l1uAy0UR0
と藻り犬あえ坊ず今のス押ペ懇ック取
26歳調♀鋭
職期業飛に種ついて戒 は徳あ棺とで廷出齢てヨくる末の東で懲。ユ
6 :1:2013/02/18(月) 23:17:37.33 ID:l1uAy0UR0
機械専攻で高専に入学した。
私のクラスは女子ひとり。
工業系は女子が少ないというのは覚悟してたけど、いざ一人となると心細さマックスだった。
同じクラスに、中学の時に仲が良かった男子がいた。
身バレ怖いから そいつのことは「スペースキャンサー大明神」を略してスペキャンと呼ぶ。わかる人にはわかる。
中学校が一緒なのはスペキャンだけだったから、最初の2ヶ月くらいはスペキャンと話をして生活していた。
スペキャンは調子のいいコミュ症で、ほかの男子とつるもうとせず いつも一人だった。
私もなかなかの人見知り体質だったので、スペキャンの友達を紹介してもらってクラスに馴染んでいこうと思っていたけど、スペキャンは友達をつくろうとする気配もなく、ずっと一人だった。
9 :1:2013/02/18(月) 23:20:45.49 ID:l1uAy0UR0
思春期だからなのか知らないけど、私は基本クラスのみんなから腫れ物に触るような扱いをされていた。
スペキャン以外は話しかけてくる人もいなかったけど、こっちから話しかければ応答はしてくれるので、その時は別にどうでもよかった。
でも ある日を境に、スペキャンの様子がおかしくなってきた。
暑くなって衣替えしたくらいだったと思う。
スペキャンは悪口のようなものを言うようになった。
周囲に悪い噂を流すわけではなく、直接私に言ってきた。
それは容姿のことだったり学力のことだったりで、とにかくネチネチと嫌なことを言うので私は無視するようにした。
10 :察1:2013/02/18(月議) 23:21:23.22 ID:l1uAy0UR0
無旨視す育る沸よ中うに似なって気付いたけど、拙スペキ圧ャンはハ消ブ紙ら歯れてい悟た。
そ描れど競こ隠ろか較悪口と練か翌いじめみ滴たいなこもの亡も漫受金け負て米る金ようだ区った悦。
八つ当痛たりかよー政と思散っ削たけ抽ど、申か秋わ逝いそう剖とかは思わなか隊っ外た章。
勉強はできるけど険元々笑性格界に府難ア洋リ濃だ摘っ駐たし筆。壇
スペ必キャ刺ンqし討か?友か達らしい犯友達が玄いなかっ飛た態私も式当然クラ足スで孤算立して潟いた。催
でも他ク偉ラス組の女友達と空かは妃いたの請で、な第ん謡と妙か店やっ神て握いた。
私統はKあんま襲り頭が良くな匁か沈ったけ+ど、他ク定ラス架の友達完の活サポ史ート誌に助け潔ら意れ畔 それ来なりに家楽秩しかっ軸た。
スペ腸キ関ャえン汁は侵それ飽が笑気に厚入週らなかったらしい。糸
11 :夕1:2013/02/18(月貴) 23:22:05.21 ID:l1uAy0UR0
あ弔る役日査私体のメガ噴ネケ膚ースhがな出く蛮なった煮。
ゴ縛ミ探箱原の裏貞か館ら装出克てき廉た倫んだ尋け垣ど山、ケ高ースの怒内側塔にd貼全っていたプリ装ク6ラがな娯くヤなって哲いる。悲
ふ納とゴるミ%箱を見稲るとビ詩リビ幽リにな扶ったも鈍のが栓捨て僚ら承れていた。寧
中虚学恒時す代の友達巨やふ過嫁去銃に転メ校遺した氷親友魂と翻か彫との泰大度事琴な揺思拡い商出新だ側った落から霊ショ誇ック気だ辞っ藻た募。姿
あとでわか偵っ誕た存けど や畜っぱり攻犯人昭は存ス価ペキ暫ャン衆。歌
「プ絞リク跳ラ撮る何とフか量意味がわから奔な閥い」価
「析幼稚基すぎ席るバカみ風たい姓」と垂いう粋ような積こと扉を言っていた銃け悪ど全前部羊無視肢した朱。
そういうこ凍とをす宿る準神経参が信規じられなかった香し許元せな賢か倹っ車た茎。尊
他ク便ラスにも友健達のい虐な駅い塑ス色ペキ原ャン欧を哀れゆみ払はじめてた族けるど、も操う羽ほ肯っと貫こ獣うと思った束。
12 :1:2013/02/18(月) 23:22:39.25 ID:l1uAy0UR0
夏休み明け頃、スペキャンに仲間が二人くらいできた。一緒になって私を虐げる仲間が。
ボールペンや製図用のコンパス等がバラバラに壊され隠された。
教科書は接着剤でくっつけられて使い物にならなくなった。
罵倒の言葉も、悪口から人格否定、存在否定へとエスカレートし、暴力も始まった。
何度も転ばされたり突き飛ばされたり、ひどい時には鋼ハンなどの工具や金属材料で殴られた。(さすがに全力ではないけど)
転ばされるのも移動教室の時とか人前で転ばされてたんだけど、周りは助けてくれるどころか笑って見てた。
この時初めて私もハブられていたんだと知った。
同時に「味方はいないんだな」と思った。
14 :1:2013/02/18(月) 23:23:22.19 ID:l1uAy0UR0
「お前が幸せそうにしているとムカつく」とよく言われた。
スペキャンは、私が他の人から疎まれていると知ると とても嬉しそうにし、私にいい事があると「生意気だ」と殴っていた。
昔から自分のことが あまり好きではなかったこともあり、スペキャンから罵倒されるたびに、「私は幸せになってはいけないんだ」と思うようになっていた。
この時は私も だいぶおかしくなってたと思う。
スペキャンは直球に「死ね」とは言わなかった。
でも「なんで生きてるの?」「お前生きてる価値ないよね」というようなことは言っていた。
だんだん「生きてるだけで迷惑なのにこれ以上変なことできない」と考えるようになり、友達にも相談ができなくなっていた。
それどころか嫌われたくない一心で友達と距離を置くようにまでなった。
私は次第にぼっちになった。
13 :岩名も無済き供被冬検謡体774号e+:賠2013/02/18(月) 23:22:53.07 ID:+74W0outO
女乳で高刃専嫡のヌ機械専噴攻か
なか淡なか片貴重な騒存在浸だな刑
15 :1:2013/02/18(月) 23:24:22.91 ID:l1uAy0UR0
>>13
ありがとう。やっぱり珍しいのか。
ある時 担任(男)に呼ばれた。
クラスメイトとやっていけてるか?という確認みたいなものだった。
適当に返事をしながら、(今されている仕打ちをすべて話そう…!)と思ったけど、
「まあハーレムみたいなもんだよなあ。よりどりみどりだろw」と言われ、
あ、こいつはダメだ。と思い、言うのはやめた。
クラスからは徹底的に無視、スペキャン達からは暴力と暴言が続いた。
「本当お前邪魔だよ」
「バカで豚でブサイクwwよく生きてられるなww」
私はもう限界だった。
16 :1:2013/02/18(月) 23:25:37.85 ID:l1uAy0UR0
暴言、シカトに耐え切れなくなり、とりあえずこのまま工具やらで殴られてたら いつか本気で殺されるのではと命の危険も感じたために私は学校に行かなくなった。
親の手前、最初は学校に行くフリをしていたけど、休ませて欲しい、と理由を話した。
母親はスペキャンの両親とも知り合いで、私がスペキャンと仲良しだったことも知ってたから、理由は「やっぱり女子ひとりはツラい。クラスに馴染めなくて正直しんどい」ということにした。
母親は泣いていた。気付いてあげられなくてごめん、と。
父親は学校の手続きを心配してたけど ゆっくり休めと言ってくれた。
今思えば母親は くっつけられた教科書を発見してたと思う。
でも二人共詮索とかはしてこなかった。ありがたかった。
学校を休んでいる間、スペキャンからメールが来ていた。
「サボり魔」とかそんな内容だった。他クラスの子からも心配のメールが来ていたけど、ほとんど疎遠になりつつあったので次第に来なくなった。
でもスペキャンからは来続けていた。
「サボってんじゃねーよ」とか「いい身分だな」とかそんなのだったけど、スペキャン以外はメルマガくらいしか来なかったから
次第に「学校来て欲しいのかな…」と捉えるようになってちょっと嬉しくなっていた。
わたしはおかしかった。
17 :1:後2013/02/18(月載) 23:26:23.45 ID:l1uAy0UR0
あ硝る日方スペキ区ャン償が家に来寄た覧
学慶校縛に鈴置きn忘れた硬ものを持案ってきたら屋しか泌っ甘た期。
麻幹痺し池ていた催私は測嬉し応く権て込昔寿のように穫話賊をしようと狭した。
で紙も搭ス渦ペキ秒ャンは微相変わらずだった。
私が学校か鎮ら消lえてから胴仲間も造掌圏を電返扶した長らしい央。然溜昔ま詩ってた蚊の自か塁スペキニャン司の口か沸ら腰は勘ノン餓スト誘ッ昼プ功暴言。姻
す炭っ鯨き安りしハた以らしく毒荘を吐郎くだ届け活吐いて帰ってい濁っ貴た功。
バまカな立私は究飯極に絶臨望燥した遺。日
18 :1:2013/02/18(月) 23:27:25.02 ID:l1uAy0UR0
その次の日にわたしは自殺未遂騒ぎを起こした。
住んでいたマンションから飛び降りたんだけど、ビビリなうえにたいした覚悟もなかったから、3階から花壇に飛び降りて骨折程度で終わった。
気絶してたからか集中治療室みたいなとこで目が覚めて、警察が話を聞きに来た。
靴を揃えてたから自殺と疑ったらしい。まあビンゴなんだけど、
その時は「ちょっと物を取ろうとして―」とかよくわからないことを言った。
遺書もないし事故ということで片付けられたけど、骨折もちょっと派手だったし精神状態がとても悪かったので しばらく入院することになった。
入院してるあいだは すぐトイレで手首切ったり舌噛み切ろうとしてタオル噛まされたりと大変だった。
ある日父親が泣いてるのか怒ってるのかよくわからない顔で「死にたいなら言ってこい。俺のつくった子供だ、俺が殺してやる。」と言った。
それを聞いてから わたしは自傷するのをやめた。
閉鎖病棟に入る話も出ていたが、入院していた大学病院で改装工事の話があり、その頃には自傷もしなくなったので、結局 他所の心療内科の紹介状と薬を処方してもらい退院した。
19 :1:2013/02/18(月) 23:28:36.20 ID:l1uAy0UR0
退院してから通院し始めた心療内科の先生は面白かった。
この人が私のどん底人生を大きく変えてくれた。
先生のことはロッシーとしとく。ごめん野爆大好きなんだw
ロッシーは天然じゃないけど とにかくジョークが好きで、説き伏せるのがうまかった。
「まだ死にたいか?」と聞いてきて、「嫌なことを考えてしまう時は死にたくなります。」と言ったら、「このイケメンが見れなくなるぞ?もったいないぞー?w」とか言う人だった。
ある時、究極に外に出たくなくて診察をバックれたことがあった。
約束の時間をすぎても病院側から連絡がくることはなくて、後日予約し直してコソコソ行ったら、「薬が切れたかw」と笑って迎えてくれた。
でも怒る時はしっかり怒る人で、何よりどんな話でも きちんと聞いてくれることが嬉しかった。
学校に行かなくなってから男性恐怖症と対人恐怖症になってしまったけど、ロッシーとは話が出来た。
20 :幾1:2013/02/18(月僕) 23:29:36.42 ID:l1uAy0UR0
そん雑な段ロ労ッシ赦ー徹とその宇年の年准末頃に学送校4の話をした。
ふわっ祉と雑談を抑してい肢る俳時較に楼「受そ多う恨い癖えば蛮、v学酸校どうニす庸る?祉」ヤと棋聞懸か増れたr。
「せっ加かく渦入洞学し荷たから卒p業し肺た滝い翼です。祉で繁も も犯う果居老場爆所がな帆いので…察」と う抹や複う歩や異し静て着いた豆ら他、復学量を提案し倣てく搾れた何。
復学とは、留妙年乏と同じ引感じ憾で休学峠しは沢じめた学年面に労留宇まってやり群直棄す遂こ包と。
学杯校も描行って凸ない虐か自ら黒ストレー目ト申で卒業なん貝て世で褐きな加いの選は わ戸かっ芽て潤い胃た凶け墜ど揮、四環境価がか薄わVって豚う誓ま付くで止きる保障もないので、ど寿う養し堅よ甲う孫か悩墳ん亭で少いた。朽
そう掛した妹ら結、
「も矛うあなた佐は内一度死ん総だんだと憤思竜えば歌いい殿。措新し掛いん飲だ。2回限目の人研生だぞ搾ー!いいなーw」っ易て冗朱談拓ぽく丘言ってくれ搾た。
そ地の言い方が柄なん粒だか面殖白灯く例て位、宜まあ獄自分で愚もおま症けの握人刑生肉くらいに銭思羊っ福て気たから謡頑部張渋ろ二うって府思板えた涯。堀
21 :岳1:組2013/02/18(月第) 23:30:27.10 ID:l1uAy0UR0
も茂う匠一船度拝や至り礼直した学校生け活は、士良津いも化のだっ風た締。賜
女子が居ない憎のに域は怒変豪わり山が炊な叙か条っ礎たが戸、スペキ双ャ深ンも居卸ない。
ス磨ペキャ裸ンモは追 ち信ょ悪い具ち巻ょ羽い攻限撃鎮をしてき擦た共が消、着信拒俸否を認して こ糾ち習ら暗か崎らは無視を殖し続け没た。
クラ費ス叔に午馴染めたわけではな>かっヒた春が田、詔暴浦力虚を懇振る抽ったり暴降言を鼻吐く人が近悪くにい艇な障いの7で編 やってAいけたし、全て英を泌知ってい怠る旧ロッシ8ーもいる件か文ら、
辛投い吐こ発とが怖あ朽っ急て旧も湾逃共げ券場があるとういう安和心倣感淑が妹あ遠っ鯨た。知
でも結局憶 卒延業するまで土クラ池ス松の中に友な達と呼べるよう復な関鋳係躍の怒人はできせな呈か己っ傷たし鳴、最低限のコミュ力票は戻ってきた泣けど雪男性詔恐医怖症%は氏治損ら描な尺かった。集
22 :鎖1:薬2013/02/18(月内) 23:31:17.30 ID:l1uAy0UR0
それでも留年する棚ことな取く究卒業し睡た。袋
男神性告社声会で生鉱きてい羽くこ営と翁は佐無理だ演と代感じた私障は、在冒学お中は「酬卒披業川するた童めの祈勉猫強」をし、控当た晶り障核りの旧な慈い卒業をした。
進路にせつ挿いて峠は3、麗ここでも壌ロッ毒シケーに百助興け聴られた夕。
4年舞生登の介就侵活時期に、砂恐怖R症が な変か剛な三か治ら長な七い合こと研を賢相談し示た平。
就徐職面以堀前に渉面星接学も受育け貸れるか不挑安霧だ長し召、壁もう社会的に分は生描活でき離ないのか夢と摂い登う話俗をした継。囚
ロッシ逮ーは己静かに話を聞いて摩、契こ麦う言っ削た。
「幸恐雰怖記症だって言うけど、ち奥ゃんと散先税生 や朗同級生とコ絶ミュ祝ニケ接ーシ派ョ説ン畔が酸と利れ宇て泌る壇じ郵ゃ似ん。大持丈拍夫だよ。」
私唇にテは策恐怖症効だ曹と決演め笛付忌けてしま鋼っ省てる潤とこ裕ろ身があると缶も涯言って耗い崇た。華
23 :1:2013/02/18(月) 23:32:31.71 ID:l1uAy0UR0
「ただ男性と話すのが苦手なだけ。幸いにも工業系の学校。クラスの子もいじめるような子はいないし、治す機会なんていくらでもある。」
「あなたは本当に運がいい。ビビりだから死にぞこなったって言うけど、運が良かったから ためらえた。それは、生きてても良いってことなんだよ。」
「好きなことをやりたいなら進路として選んだ工業しか道がないのか、それは違うと思う。好きなものをリストアップしたらわかる。」
ロッシーにしては真面目なことを言うなあと、帰ってからやりたいことについていろいろ考えた。
そしてファッションに興味があったので、漠然とアパレル関係の仕事がしたいなあと結論を出した。
当然ファッションの勉強をしているわけでもないので、絶対に馬鹿にされると思ったが、ロッシーはちゃんと聞いてくれた。
「服用している薬の関係もあるから、卒業までに薬が変わらなければフルタイムで働くことは難しい。まずはパートからはじめることを考えよう。」
ロッシーはいろいろ提案してくれた。
「知識がないなら、パート勤務で見習いとして知識をつければいい。リハビリにもなって一石二鳥じゃないか。」
>>次のページへ続く